立板三 様から「試合268:シングルマッチ20分一本勝負 佐伯 瑛太 vs 築山 諒真」の小説をご提供いただきました。
立板三 様が小説、私が挿し絵を担当したコラボレーション作品です。

※絵はAI生成です。小説はAI生成ではありません。

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紫毒の若獅子と蒼雷の新星

ゴング前

場内の照明が一斉に落ちた。

暗闇の中、スポットライトだけがリング中央を白く切り取っている。二十分一本勝負。実況席のアナウンサーは声を潜め、観客のざわめきもいつもより低い。会場全体が息を詰めているような、そんな空気だった。

ゴングを待つ二人が、リング中央で向かい合う。

佐伯瑛太は顎をわずかに上げ、薄い笑みを口元に貼りつけていた。紫のコスチュームが照明を受けて妖しく光り、細身でありながら無駄のない身体の輪郭を際立たせている。視線には温度がない。相手を品定めするような、冷えきった目だった。

対する築山諒真は、胸を大きく上下させながらも視線を逸らさなかった。蒼を基調としたコスチュームが分厚い肩幅を強調し、両足がマットをしっかりと踏みしめている。根を張った大木のような佇まいだ。緊張はしている。しかし、それ以上に強い意志が全身からにじみ出ていた。

佐伯が一歩、前に出た。

「ネクドリの代表がお前か。ずいぶん重たいもの背負ってるみたいだな。辛くねぇの?」

声は低く、挑発的だった。吐息が届くほどの距離に詰め寄りながら、佐伯は首を傾げてみせる。

築山は答えない。ただ、まっすぐに見つめ返すだけだ。

「何も言わねぇのか。緊張して声も出ないってか」

佐伯の唇が嘲るように歪む。沈黙する相手の神経を、一本ずつ丁寧に逆撫でするような物言いだった。

築山が短く息を吐いた。

「僕はただ、結果を示すだけです」

静かだが、芯のある声だった。佐伯の目がほんの一瞬だけ細くなる。

「ナマ言うじゃん。望み通り結果を出してやるよ」

そこへ、ゴングが鳴り響いた。

金属音が会場の天井に反響し、二十分の闘いが幕を開ける。

序盤

序盤は静かな立ち上がりだった。

リング中央でのロックアップ。互いの肩と首に手をかけ、力を測り合う。佐伯はすぐに腕を取り、手首を捻って関節を極めにかかった。築山は体重を乗せるようにして体勢を入れ替え、逆に力で押し返していく。技と力、それぞれの持ち味を前面に出したせめぎ合いが、慎重に繰り返された。

「ほら、もっと来いよ」

組み合いの中で佐伯がささやく。築山は応えず、歯を食いしばったまま力を込め続けた。観客もまだ様子を見ている。拍手も歓声もまばらで、リングの上で擦れ合うシューズの音だけが妙にはっきり聞こえていた。

しかし、佐伯の眉間にうっすらと皺が寄り始める。主導権を完全には握れない。パワーで押し込まれるたびに体勢を作り直す必要があり、思い描いた展開には持ち込めていなかった。その苛立ちが、佐伯の手を狂わせる。

不意に築山の首へ腕を回すと、強引に締め上げた。明らかな反則行為である。

「ぐっ……」

築山の喉から短い呻きが漏れた。

レフェリーが素早く割って入り、カウントを数え始める。佐伯はその声を聞きながらも、ぎりぎりまで力を緩めようとしない。

「さっきの勢いはどうした? 苦しいか? ザマァねぇ」

耳元でささやく佐伯の声は、どこまでも冷たかった。

築山はロープを背にして踏ん張ると、腰を深く落とし、逆に佐伯の体を押し返した。太い腕が佐伯の拘束を力ずくで引き剥がす。

「こんなもので……落ちるか!」

築山が低く吐き捨てた。佐伯が小さく舌打ちをする。しかし、その口元はどこか楽しげに歪んでいた。

「へぇ。力だけはあるな」

そこからは一進一退の攻防が続いた。腕の取り合い、足払い、体当たり。佐伯が組み付けば築山が振りほどき、築山が押し込めば佐伯がするりとかわす。どちらにも決定打がないまま、二人はじりじりと消耗していく。

やがて、まるで申し合わせたかのように両者が同時に距離を取った。リングの対角で肩を上下させながら睨み合う。束の間の静けさが、リングを包み込んだ。

先に動いたのは佐伯だった。ゆっくりと歩み寄り、右手を軽く振って築山の頬に拳を当てる。力はほとんど込められていない。当てた、というより触れただけの一発だった。

「痛くもねぇだろ」

佐伯は首を傾げ、挑発するように笑ってみせた。

築山の表情が、一瞬で変わった。それまで辛抱強く感情を押し殺していた目の奥に、はっきりとした怒りの火が灯る。

「なめるな」

低い声と同時に、築山の両手が佐伯の体を掴み、一気に持ち上げた。百七十九センチ、七十七キロの肉体が宙に浮く。

ブレーンバスター。

背中からマットに叩きつけられ、リング全体が大きく揺れた。衝撃音が場内に反響し、観客からどよめきが沸き上がる。

「がはぁ!」

佐伯の口から空気が弾け出た。体がマットの上で跳ね、そのまま仰向けに崩れ落ちる。天井の照明がぼやけて見えているのか、佐伯の視線が虚空をさまよっていた。

しかし築山は間を与えなかった。ふらつく佐伯の腕を引いて無理やり立たせると、背を向けてロープへ走る。

「これで、終わりだ」

反対側のロープで勢いをつけ、折り返してくるその右腕が大きく振りかぶられた。

ライトニングヘル・ラリアット。

築山諒真の必殺技が、佐伯の胸元を打ち抜いた。

「ぐぉぉっ!?」

轟音。佐伯の体がくの字に折れ、弾き飛ばされるようにマットに沈む。七分経過。あまりに早い勝負手に、場内がどよめいた。築山は迷わず佐伯に覆いかぶさり、フォールの体勢に入る。

レフェリーの手がマットを叩いた。

一つ。

二つ。

佐伯の左肩が、わずかに浮いた。

カウント2で止まる。会場が沸いた。あの一撃を受けてなお、佐伯瑛太は終わらなかった。

佐伯は仰向けのまま荒い息を漏らし、かすれた声で呟いた。

「まだだろ……それじゃ足りねぇよ」

築山の目がわずかに見開かれる。

(……返したのか、あれを食らって)

その目が再び冷たい光を取り戻していく。佐伯はゆっくりと四つん這いになり、やがて立ち上がった。足元はふらついている。それでも構えを取り直したその姿に、場内の空気が一段引き締まった。

「さあ、ここからだぜぇ」

佐伯が低く呟き、右脚が閃いた。

ローキック。築山の太腿に正確に突き刺さった。乾いた音がリングに響く。

「ぐっ……」

築山がわずかにたたらを踏む。間を置かず、もう一発。同じ箇所を打ち抜き、築山の膝がわずかに揺らいだその瞬間、佐伯の体が流れるように回転した。

右のハイキック。左のハイキック。Wハイキックコンビネーションが目にも留まらぬ速度で繰り出される。二発目が築山の側頭部を正確に捉えた。

鈍い打撃音が響き、築山の上体が大きくぐらついた。

「うぁ……っ」

膝から力が抜け、前のめりに崩れ落ちていく。佐伯はその体に覆いかぶさり、すかさずフォールへ入った。

「取ったぜ」

レフェリーの手が再びマットを叩く。

一つ。

二つ。

今度は築山の右肩が跳ね上がった。カウント2で返す。安堵と興奮が混ざり合った歓声が場内を満たした。

「くそ……まだ動くのかよ」

佐伯が忌々しげに呟く。

築山は歯を食いしばりながら、かすれた声を絞り出した。

「……簡単に、取らせるか」

互いの大技が飛び交いながらも、どちらも仕留めきれない。試合は完全に拮抗していた。

試合時間10分~

そこからの攻防は、両者の個性が正面からぶつかり合うものだった。

築山がパワーで押し込む場面では、佐伯の体が何度も宙を舞った。スクリューボムで高々と持ち上げられ、背中からマットに叩きつけられるたびに、佐伯の口から苦悶の声がこぼれる。

「効いてるだろ。まだやるか?」

築山が見下ろしながら問いかけた。

しかし佐伯も打たれたままではいない。マットに手をつき、震える腕で体を起こしながら笑みを浮かべる。

「効いてるぜ……大したダメージじゃないけどなぁ!」

起き上がるたびに打撃で牙を剥き、浴びせ蹴りが築山の肩口を捉えると、場内の声援は佐伯側にも広がっていった。

「おらおらぁ!」

佐伯の蹴りが走るたびに、築山の体が揺れる。パワーの築山、打撃の佐伯。持ち味の異なる二人の攻防は、寄せては返す波のように続いていく。

時計の針は十一分を回った。

ここで佐伯の動きに変化が生じる。

それまでの打撃主体から一転、佐伯は組み付く素振りを見せた。狙いは築山の右腕。かつて怪我を負い、デビューを半年遅らせた、あの腕だ。

「その腕、大事にしてるんだろ? いつまで耐えられるか、楽しみだぜ」

佐伯の両手が右腕にしっかりと絡みつく。築山の表情がこわばった。弱点を正確に見抜かれた、という自覚が走ったのだろう。

「やめろ……そこは……!」

築山の声に、初めて焦りがにじんだ。

佐伯は掴んだ腕を離さないまま体をひねり、グラウンドへと引きずり込んだ。そして自らの脚を築山の首に絡めると、頸動脈を挟み込むように締め上げていく。

実況席が声を張った。

「スネークバイトです。佐伯瑛太の必殺技、スネークバイトが極まったぁ!」

蛇が獲物に噛みつくような技だった。腕を固定して逃げ道を塞ぎ、脚で頸動脈を圧迫する。血流が遮断されれば、体の大きさは関係ない。意識は確実に刈り取られる。

「俺さまの必殺技はどうよ? ……じわじわ締め上げてやるぜ」

佐伯がささやく。その声には残酷な愉悦がにじんでいた。

築山の顔色が目に見えて変わった。赤みが引き、青白くなっていく。締められるたびに体が小さく痙攣し、もがく腕の力が少しずつ弱まっていた。

「がっ……ぁ……」

声にならない声が漏れる。観客が悲鳴に近い声を上げた。このままでは落ちる。誰もがそう思った瞬間、築山の右足がわずかに動いた。
一センチ、また一センチ。残された力を振り絞るように、つま先がロープへと伸びていく。佐伯の締め付けに抗いながら、築山は体を少しずつずらし続けた。

「ロープ……届け……っ」

絞り出すような声とともに、その足先がロープに触れる。

ロープエスケープ。レフェリーがブレイクを宣告し、佐伯はわずかな間を置いてからゆっくりと体を離した。名残惜しげに、舌の上で味わうように。

「残念、惜しかったな。あと三秒で落ちてたのに」

佐伯が立ち上がりながら肩をすくめてみせた。

築山がロープに縋りながら激しく咳き込んでいる。酸素を求めて胸が大きく波打ち、首元には佐伯の脚が食い込んだ赤い痕が残っていた。場内から安堵の拍手が送られる。

だが築山はただ凌いだだけでは終わらなかった。

首を押さえながらも立ち上がると、今度は自分から佐伯に向かっていく。

「絞めなら……僕も負けない!」

背後に回り込み、佐伯の胴に腕を巻きつけた。脚を絡めて倒し、胴絞めスリーパーホールドへと移行する。

絞め技なら自分も負けはしない。その意地が、締め上げる腕にこもっていた。

「っ……いい締めだな。だが甘ぇよ!」

しかし佐伯の体はぬるりと動いた。築山の腕の隙間を見つけ、蛇のように体を回転させて拘束を抜ける。七十七キロの軽い体が、ここでは明確な武器になっていた。

(逃げられた……)

築山が歯噛みする。態勢を立て直そうとした時には、すでに佐伯は十分な距離を取っている。そしてここから、佐伯瑛太の時間が始まった。

スピードと打撃で、佐伯がリングを自在に動き回る。築山が追えば横にかわし、掴みにいけば一歩引いて距離を作る。その合間に放たれるキックが、確実に築山の体を削っていった。

右のキチンシンク。膝が築山の腹部に深く突き刺さる。

「ぐふっ……」

呼吸が止まり、前かがみになった築山のみぞおちに、間髪入れずもう一発。

「そら、もう一丁!」

連続のキチンシンクが正確に同じ箇所を貫き、築山の呼吸が目に見えて乱れた。膝に手をつき、苦しげに肩を揺らしている。

動きが鈍くなった相手を見下ろし、佐伯の表情が変わった。勝利を確信した者だけが浮かべる、余裕に満ちた笑みだ。佐伯は築山の背後に悠然と回り込むと、右手の人差し指と親指を伸ばして拳銃の形を作ってみせた。その指先を築山の後頭部に向け、引き金を引く仕草をする。

「チェックメイトだぜ」

観客からブーイングが降り注いだ。だが佐伯は気にもせず、むしろ楽しげに肩をすくめている。

築山は膝に手をついたまま荒い呼吸を繰り返していた。腹部のダメージは深い。このまま佐伯の間合いで戦い続ければ、いずれ仕留められる。わかっていたからこそ、築山は残った力で前に出た。

「まだだ……終わってなんかない!」

両手で佐伯の胸を押し、トップロープの向こう側へ突き落とす。佐伯の体が場外マットに転がり落ちた。築山はロープにもたれかかりながら、わずかに得られた猶予の中で必死に呼吸を整えていく。

しかし場外に落ちた佐伯の目は、リング脇に置かれたパイプ椅子を捉えていた。

迷いなく手に取り、リングに滑り込む。椅子を高々と振りかぶり、フルスイング。金属の冷たい輝きが照明を弾きながら、築山めがけて振り下ろされた。

「これならどうよ!」

だが築山は紙一重で身をかわす。椅子が空を切り、佐伯の体勢が大きく崩れたその瞬間、築山の右手が開いた。

渾身の張り手。

乾いた音がリングに響き渡り、佐伯の首が横に振れた。手にしていた椅子がマットの上に転がり落ちる。

「おぁ…ぁ…ぁ……」

佐伯の目の焦点が合わなくなっていた。足がもつれ、ロープに背中を預けるようにしてかろうじて立っているだけだ。その佐伯に、築山が詰め寄った。

右手を大きく開き、佐伯の顔面を鷲掴みにする。

アイアンクロー。

頭蓋骨を万力のように締め上げるその技は、新人殺しの異名で知られていた。もっとも、仕掛けている築山自身もまた新人である。しかし、その握力から繰り出される圧力は冗談では済まなかった。

「これでどうだ……ギブアップしろ」

リング中央で完全に捕らえられた佐伯の体が、じわじわと沈んでいく。膝が折れ、やがてマットに両膝をついた。築山の太い指がこめかみに食い込み、佐伯の口から押し殺したような呻きが漏れている。

「ぐ……ぅぅ……」

それでも佐伯はギブアップの声を上げなかった。弱々しくはあるが、その手が築山の手首を掴んでいる。ほんの数ミリずつ、ジリジリと指をこじ開けにかかっていた。残された力のすべてを両腕に集中させているのか、佐伯の全身が細かく震えている。

「こんなで……落ちてたまるか……よ!」

声は途切れ途切れだった。しかし、その言葉に込められた意志は明確だった。
そして、弾けるようにして振りほどいた。

「なっ……」

築山の声に驚きが混じる。アイアンクローから脱出した佐伯がマットに転がり、築山もその場に片膝をつく。両者ともに消耗は限界に近く、荒い呼吸だけがマイクに拾われていた。

場内アナウンスが告げる。

試合時間、十八分経過。残り二分。

試合時間18分~

残り二分。その事実が、二人の中に新たな火を灯した。

先に動いたのは佐伯だった。立ち上がりざま、口を大きく開ける。

毒霧。

緑色の霧が宙に広がり、リングの一角を鮮やかに染め上げた。だが築山は腰を落として低く突進し、霧の直撃をかわすことに成功する。

「甘い!」

勢いのまま張り手を狙う築山。しかし佐伯はバックステップで距離を取り、その手を空振りさせた。

「そっちこそ甘ぇよ! そんな大ぶりな技、何度も当たるかってんだ」

築山がタックルで追う。佐伯が下がる。張り手が空を切る。タックルがかわされる。それでも築山は諦めなかった。

「逃がさない!」

強引に佐伯の体を掴み、持ち上げた。スクリューボム。佐伯の背中がマットに叩きつけられ、リングが揺れる。

「ぐぉ!」

佐伯の口から息が漏れた。築山がフォールに入る。

一つ。

二つ。

佐伯の腕が高々と上がった。カウント2。まだ返す力が残っている。

(まだ返せるのか……この選手、かなりタフだ!)

築山はすぐさま起き上がり、再度アイアンクローを狙いにいった。右手を開き、佐伯の頭部に伸ばす。しかし二度目は読まれていた。佐伯が素早くマットを転がり、ロープへと逃れる。ロープエスケープ。その判断の速さに、場内からため息が漏れた。

「二度目はねぇよ……同じ手は食わねぇ」

佐伯がロープに背を預けながら、荒い息の合間に笑った。

「残り一分です」

場内アナウンスが響いた瞬間、観客の声が一気に膨れ上がった。

築山の猛攻が止まらない。殴り、組み付き、投げる。残された六十秒のすべてを攻撃に費やす覚悟だった。

「いくぞ……決着をつける!」

佐伯の体を捕らえると、ブレーンバスターの体勢に入る。持ち上げた佐伯の体を、ロープの向こう側、場外へ向けて投げ落とした。

「うぉっ!?」

佐伯がリングの外に消える。

その瞬間だった。

ゴングが鳴った。

二十分。フルタイム終了。

引き分け。

場内に歓声とため息が入り混じった。レフェリーが両手を交差させ、ドローを示している。リング上の築山は膝に手をつき、肩で大きく息をしていた。場外の佐伯はマットに仰向けになったまま、天井を見上げている。

ゴング後

やがて佐伯が起き上がった。その手が、先ほどリングに投げ込んだパイプ椅子を拾い上げる。椅子の脚を握りしめる指が白くなるほど力が入っていた。怒り。納得のいかない結果への、煮えたぎるような感情が全身からにじんでいる。

佐伯はリングの下でマイクを手にした。

「……チッ。時間切れだぁ? ふざけんな」

荒い息の合間から、低い声が絞り出される。

「ここまで殴って蹴って、血の匂いまで漂ってんのに引き分けだと? 冗談じゃねぇよ」

場内がざわつく。佐伯はマイクを握り直し、リングの上にいる築山を見上げた。

「おい築山。勝てねぇから外に投げて終わらせたのか? 覚悟が足りねぇんだよ、チキン野郎。俺は勝つか潰すか、それだけだ。引き分けなんてクソな結果、俺の辞書にはねぇ」

一拍の間。そして佐伯は叩きつけるように言った。

「時間無制限でやろうぜ。今すぐだ」

観客がどよめく。試合直後の、満身創痍の状態で再戦を求める。その執念に、ブーイングと歓声が半々で降り注いだ。

リング上の築山が、レフェリーからマイクを受け取った。片手でロープを握り、肩で息をしながらも、その声ははっきりと響く。

「……初めてです。ここまで削り合ったのは」

会場が静まった。

「団体の代表として勝てと言われて、このリングに上がりました。でも、簡単じゃなかった。全然、簡単じゃなかった」

築山は一度言葉を切り、息を整えてからマイクに向き直る。

「佐伯選手。まだやれると言うなら、望むところです。時間切れという結果は、僕も納得していない」

佐伯がリングに上がり、築山の正面に立った。二人の距離が縮まる。

「団体もユニットも関係ない。僕個人として、あなたと決着をつけたい」

築山の目は、試合前とは明らかに違っていた。佐伯という男と拳を交えたことで生まれた、対等な相手への敬意と闘志が入り混じっている。

佐伯がにやりと口元を歪めた。

「いい返事だぜ」
「このリングで、最後に立っているのがどちらか。それだけです」

築山はマイクを下ろし、空いた手で佐伯を指し示した。
「来い、佐伯選手。僕は逃げない」
「……上等だ。確実に潰してやるぜ」

リング中央で再び二人が睨み合う。観客の声がじわじわと大きくなっていった。

乱入

そのとき、場内に突然音楽が鳴り響いた。

聞き覚えのある不穏なイントロが、スピーカーから叩きつけられるように流れ出す。佐伯と築山、そして観客の視線が一斉に花道へ向いた。照明が切り替わり、入場ゲートにスポットライトが浴びせられる。

逆光の中に浮かび上がったのは、大きな影だった。

「ネクドリヒール軍の天神剛輝だ!」

実況の声が、裏返りながら会場に響き渡る。

悲鳴と怒号が同時に降り注いだ。ヒール軍に所属するその男の名前を聞いた瞬間、場内の空気は一瞬で凍りついている。天神は花道をゆっくりと歩いていた。表情は一切動かない。感情というものを持たないかのような無機質な顔で、まっすぐにリングだけを見据えている。一歩ごとにブーイングの音量が増していくが、天神の歩調は微塵も乱れなかった。

リングの上では、築山が異変を察知して身構えていた。疲弊しきった体に力を入れ直し、ロープ越しに花道を凝視する。

「天神選手……!?」

その声には、明らかな動揺がにじんでいた。二十分の死闘を終えたばかりの体は思うように動かない。それでも築山は拳を握り、コーナーポストを背にして迎え撃つ姿勢を取った。

佐伯もマイクを投げ捨て、警戒の視線を花道に送っている。だがその足元はおぼつかず、ロープに手をかけてかろうじてバランスを保っている状態だった。

天神がエプロンに足をかけ、ロープをまたいでリングに上がる。その所作はどこまでも静かで、それゆえに底知れない威圧感をまとっていた。

動いたのは一瞬だった。

リングに入るなり、天神はまず築山に向かって踏み込んだ。疲弊した体で構えを取る築山に、容赦のないストレートパンチが顎を打ち抜く。乾いた衝撃音が響いた。築山の両膝が折れ、そのまま前のめりにマットへ崩れ落ちていく。受け身を取る余裕すらなかった。二十分の闘いで限界まで消耗した体には、たった一発の拳で十分だったのだ。

続けて天神は、佐伯へと向き直った。

佐伯がわずかに後退する。しかしその背中はすでにコーナーポストに当たっていた。逃げ場がない。天神はリング脇から竹刀を拾い上げると、躊躇なく佐伯の顔面を打ち据えた。鋭い音とともに佐伯の体がくの字に折れる。崩れ落ちたところへ、背後からスリーパーホールドが容赦なく極められた。

佐伯の腕がだらりと垂れ下がる。二十分の死闘で残っていたわずかな体力が、あっけなく刈り取られていった。もがく力すら残されていない。やがてその体から完全に力が抜け、マットの上に崩れ落ちる。

「ああーーーー! 佐伯の腕が落ちた! ぐったりして動きません! 佐伯、落ちました!!」

実況の悲鳴のような声が上がり、リングに二つの体が転がっていた。

築山は仰向けのまま動かず、佐伯はうつ伏せに倒れたまま痙攣すらしていない。つい数分前まで再戦を誓い合っていた二人が、まるで壊れた人形のようにマットに横たわっている。

静まり返った会場の中で、天神がゆっくりとマイクを手にした。

その唇が、初めて動く。

「ハッ。二人揃って、みっともねぇツラだな」

低く、太い声だった。嘲りと苛立ちが混ざり合ったその声が、静寂の中を這うようにして場内に広がっていく。

「二十分だぞ。二十分も使って、どっちが上かも決められねぇのか、てめぇらは」

天神はリングの中央に立ち、倒れた二人を見下ろしている。その視線には怒りとも失望ともつかない、複雑な感情が渦巻いていた。

「正規軍だの大規模団体だの、見た目と肩書きだけ一丁前で中身は空っぽってか?」

マイクを握る手が、わずかに力を込める。

「答えろよ、築山」

天神が一歩、築山のほうへ歩み寄った。しかし築山は仰向けのまま微動だにしない。意識があるのかどうかすら怪しかった。

「……あ? 聞こえねぇか」

返事のない相手を数秒見下ろしてから、天神は冷たく鼻を鳴らした。

「力がある? 気合がある? そんなもん、首一本絞めりゃ全部止まるんだよ。これが現実だ。覚えとけ」

その言葉は観客に向けられたものでもあった。会場のどこからもヤジが飛ばない。天神の放つ空気が、声を上げることすら許さなかったのだ。

天神が体の向きを変え、今度は佐伯の前に立った。うつ伏せに倒れたままの佐伯の髪を掴み、顔を持ち上げる。焦点の合わない目が虚空を漂っていた。

「で……次はテメェだ、佐伯」

天神は佐伯の顔を覗き込むようにして、低く問いかけた。

「どうした? さっきまで吠えてた口はただの飾りか? 凶器持ってイキってた割に、展開が変わると固まるだけかよ。情けねぇ野郎だ」
佐伯の髪を離し、その頭がマットに落ちる。鈍い音が響いた。天神は立ち上がり、場内をゆっくりと見回してからマイクを口元に戻す。

「いいか、よく聞けクソガキども」

声の温度がさらに下がった。

「今日のこの試合。二十分も使って、どっちも相手を仕留められなかった情けねぇ茶番だ。ガチでやり合う度胸がねぇなら、最初からリングに立つんじゃねぇ」

ブーイングがようやくまばらに起こり始めたが、天神は意に介さなかった。マイクを持ったまま佐伯の傍らにしゃがみ込むと、動かない体を引き起こし、肩に担ぎ上げる。百七十九センチの体を片肩に乗せたまま、天神は何事もなかったかのように立ち上がった。

「……まぁ、クソな結果を受け入れずに延長戦を宣言するところはまだ可愛げがあるか、佐伯」

その声色に、わずかだが先ほどまでとは異なるものが混ざる。嘲りではない。かといって優しさでもない。何かを見定めるような、値踏みするような響きだった。

「今日から俺が、お前を一から鍛え直してやる」

場内がどよめいた。意味がわからない。暴行を加えた相手を鍛え直すとはどういうことなのか。困惑と動揺が観客席を波のように広がっていく。

天神はどよめきの中を悠然と歩き、リングの中央で足を止めた。肩に佐伯を担いだまま、最後の言葉をマイクに吹き込む。

「ヒールってのはな、嫌われる役じゃねぇ。相手の未来を奪う役だ。それをこれから、この俺が直々に教えてやる」

会場が静まり返った。天神の言葉の意味を理解しようと、誰もが息を止めている。

「さぁ行くぜ」

天神はマイクをリングの中央に放り投げた。金属がマットに当たる音だけが、静寂の中に響く。

「今日から地獄の始まりだ」

それだけ言い残して、天神はロープをまたいだ。肩の上で佐伯の体が揺れる。意識のない佐伯の腕がだらりと垂れ下がり、天神の背中で力なく揺れていた。

花道を歩く天神の背中に、ブーイングと怒号が叩きつけられる。しかし天神は一度も振り返ることなく、入場ゲートの向こうへと消えていった。佐伯の紫のコスチュームが照明に一瞬だけ光り、そして暗闇に呑まれる。

リングには築山だけが残されていた。

仰向けに倒れたまま、天井を見つめている。何が起きたのか理解できているのかどうか、その表情からは読み取れなかった。場外では実況席が混乱した声を上げ続け、観客のざわめきはいつまでも収まる気配がない。

WWEPからの刺客としてこの会場に現れた佐伯瑛太。初登場の試合は二十分の激闘を演じたものの引き分けに終わり、再戦を誓った直後に天神の手でリングから連れ去られるという、誰にも予測できない結末を迎えた。

次の試合は築山との再戦になるのか。それとも天神の介入によって、まったく別の道が開かれるのか。

その答えは誰にもわからない。